「かなと思います」と関西弁の「知らんけど」は全く異なる言葉だけど、似てるかもしれないと思った話。

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こんにちは、のだめです。先日YouTubeを見ていたときのCMでこんなのがありました。TikTokを使ったカップルが、関西弁あるあるを会話形式でやりとりをするような感じだったのですが、その中で「知らんけど」についての説明がありました。

「知らんけどは、ある種の保険」

そんな感じで言ってました。あっという間にCMが終わってしまったのですが、これをみて私は、「なるほどねぇ 保険かぁ」と妙に納得しつつ、この『知らんけど』という言葉がどのような意味を持っているのかが気になってしまい、調べてみました。

「知らんけど」に内包された意味

ⅰ.情報が曖昧であることの伝達

ⅱ.責任回避

ⅲ.興味の度合いの表示

ⅳ.個人的見解だよという意思表示

ⅴ.オチへの免罪符

(Magician Daisuke Ito 関西人が使う結び言葉「知らんけど」の繊細な意味/用法より一部引用)

色々調べてみたのですが、「知らんけど」にはこのような意味が込められているというのが一番しっくりときました。

  • はっきりとした確証はない
  • たいして興味がないけど、一応知ってるから教えてあげる
  • 自分でも調べてみたら?

これが最もいろいろな場面で使われているようです。この言葉を使った相手に対して「優しさ」が込められた言葉であり、決して「悪意」のある言葉ではない、ということです。

  • (話の内容から察するに)私はこう思うよ

といったように、あくまで個人的見解だよ、という意味を込めつつ責任を回避する使い方もあるようです。

どうやら関西弁の「知らんけど」には、はっきりとした確証はなく、あくまで個人的見解だよという責任回避の意味をもっている、ということと、相手に対する悪意がないことを表示する大変便利な言葉、ということのようです。

この「知らんけど」という言葉の持つ意味を理解するうちに、『あれ?これってあの言葉と似ている気がする』とふと頭の中にあの言葉が思い浮かびました。「かなと思います」というフレーズです。

「かなと思います」が持つ言葉の意味

私自身も2年前にこの「かなと思います」という使い方がどうにも苦手で、なんでこのフレーズが当たり前に使われるようになったのだろうと考えたことがあり、記事にしたことがありました。 

heyaganodame.hatenablog.com

2年前の自分の記事で、

  • 自己防衛
  • 対立回避

自分の意見は述べつつ、かといって真の通った自分の意見かと言われると、そうでもなくて自分の発した言葉に若干の逃げ道を作っているかのような使い方なので、

「一応個人的見解を述べますけど、責任までは持てませんよ」的な意味合いで「かなと思う」は使われているのかもしれないですね。

内に秘める意味を考えると似ている「知らんけど」と「かなと思う」

『知らんけど』は

  • (あくまで)個人的見解だよ、という意思表示
  • (発した言葉への)責任回避
  • 悪意のない優しい言葉

『かなと思う』は

  • (あくまで)個人的な見解
  • (発した言葉に)若干の逃げ道を作る
  • 自己防衛と対立の回避

以上のように2つの言葉は、それぞれの言葉が持つ意味を考えるととても似ているような気がします。

内包される意味が似ているということはお分かりいただけたかと思いますが、使われるシチュエーションを考えてみると、やはり似ているようで違うのかもしれないと思います。

「知らんけど」と「かなと思います」の唯一の違い

この2つのもつ意味合いに関しては大体同じ、ということは分かりましたが、唯一大きく異なるのは、どのようなシチュエーションでこの言葉が使われるのか、ということだと思います。

  • かなと思います:フォーマル、カジュアル問わず用いられる
  • 知らんけど  :カジュアルで用いられる

以上のようにそれぞれ使われる場面ははっきりと分かれると思います。

安倍総理

『マスクが中々手に入らない状況が続くが、全世帯に2枚ずつ配布しますので不要不急の外出を控えてもらいたい。【知らんけど】。』

こんなことをもし発言したら、大炎上案件になりそうな気がします。

小池都知事

『皆さんにお願いです、どうか3密をお願いします。【知らんけど】。』

このようにフォーマルな見解が求められる状況で【知らんけど】を使うと、大炎上待ったなしでしょう。

【知らんけど】を貶める意図は全くありませんが、公式の場面でこの言葉を使ったらまずい、というのはすぐにわかるような気がしませんか?

不適切な発言に思えてしまうのは、あくまで個人的見解としつつも適切な判断が求められる場では求められていない「言葉」だからだと思います。

そのため、「知らんけど」という言葉は、カジュアル以外では使えないとも言えそうです。

逆に、【かなと思います】というフレーズは同様の意味ながら、テレビを見ていても普通に専門家の方も使っていますし、街のインタビューなんかでも普通に用いられているため、知らんけど、という言葉よりも使われる場面というのは非常に多いです。

以上のことから、『知らんけど』と『かなと思います』は使う場面が大きく異なるということです。

『知らんけど』のほうが親近感を感じる

フォーマルの場、カジュアルな場のどちらでも使える「かなと思います」

カジュアルの場で主に使う「知らんけど」

私自身はなかなかフォーマルの場で発言をする機会はありませんが、どちらかというと相手には「知らんけど」と言ってもらいたい派です。仕事で人と話すときにはなるべく自分自身が「かなと思う」というフレーズを使わないようにしてきましたが、気心知れた人には「知らんけど」という言葉を使ってみようかなぁ、そんなことを思いました。のだめでした。