ペットと一緒に暮らすという覚悟はあるのか

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4月3日の夕方、愛犬のももが亡くなりました。12年と2ヶ月でした。写真は亡くなる日の朝、布団から出てきたところを撮影しました。

ペットと一緒に生活をする以上、いつかは訪れるお別れのときですが、そのときは突如として訪れます。いや、そのときはいつ訪れてもおかしくない状態だったのは分かってはいたはずでした。ただ、それが今日なのか、と受け止める覚悟が足りなかったのかもしれません。

肺水腫の診断から9ヶ月

もも(愛犬の名)の異変を感じたのは昨年の8月。肩で呼吸をするような苦しい表情を見せるもも。すぐに病院に連れて行き診断を受けると「肺水腫」と診断されました。ざっくりと説明すると肺に水が貯まり呼吸が出来なくなる病気のこと。溺れた経験はありませんが、「溺れる」という表現が一番近い症状らしいです。動物病院の先生からは「完治は困難」であり、「投薬治療」で少しでも長く生きられるようにすることが最善だと伝えられました。

少しでも外的ストレスがかからないようにゲージに入れて生活をさせるように言われたのですが、ゲージに入れると泣き叫び飛び跳ねるように動き回るため、結局ゲージに入れるのはやめて、これまで通りの生活を続けていました。おそらくこれまでずっと自由に家の中を動き回る生活をしてきたので、ゲージという慣れない空間に入れられたことでストレスを感じていたのかもしれません。

肺水腫と診断される前後くらいに「緑内障」も発症しており、少しずつ視界が狭まってきている最中での肺水腫。

もしかしたらこのときすでにあまり見えていなかったのかもしれませんが、私が帰宅すると匂いや雰囲気でわかるのか、尻尾をふりながら出迎えてくれました。

そんな姿を見ているとももが大病をかかえているとも思わず、いつも「もも、もも」と愛でていました。

たまに肩で呼吸をするとこもありましたが、薬を飲ませると少しずつおさまり体をくっつけて休む姿を見ては、妻とホッとしていました。

桜吹雪が風に舞う

ここ数日天気の良い日が続いていた3月末の岡山ですが週末の天気予報が雨模様だったため、「桜を見るのも今日が最後かもね〜」

妻とそんな話をしつつ雨で桜が散る前に花見したいよね、ということで津山市にある鶴山公園に花見に行ってきました。

車で向かうこと1時間半。同じように考える人が多かったようで、やや密の状態ではありましたが、園内を歩く人の間を吹き抜ける桜吹雪が大変気持ちよかったです。

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ときたま吹き上げる桜吹雪に「わぁ」という歓声があがり、妻と「やっぱり今日観にきて良かったね」と話します。

桜は満開のピークは過ぎつつあり、場所によっては葉桜になりかかっているところもあったので、雨風にさらされればはおそらくもちこたえられそうにはありませんでした。

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いつも思いますが、お城と桜はとても似合います。当時の人々がお城の上から眺める景色はどんなだったのかなぁと思いを馳せつつお城からの眺めを楽しむのが好きでした。

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お城から眺める景色一体がピンク色に染まっています。

「まるでもも色だね」

そんなことを妻と話しながらおそらく今日が今年最後かもしれない桜を眺めていました。

「もも、連れてくればよかったね」

お城の入り口には屋台が並び、日生のカキオコが売られていました。時期的に牡蠣は厳しいかなと思っていたので、久々のカキオコに舌鼓を打ちました。

「好き」の反対は嫌いではなく「無関心」

ももはどちらかというと好き嫌いがはっきりとした犬でした。好きなものには舌を出して全身で飛び跳ねて嬉しさを表現し、嫌いなものは一切見向きもせず、吠えて嫌悪感を示すこともあまりありませんでした。犬なので「これは嫌い」なんていうはずもないので当然と言えば当然なのですが。

昔、私が上司に言われた「『好き』の反対は『無関心』」という言葉を体現するかのようなはっきりとした性格でした。

もともとはたいへん臆病な性格で、妻からは「家族以外は懐かないよ」と言われていたのですが、初めてももとのご対面では案の定、わんわんと吠えられ近づくことすらできませんでした。しかし一緒に生活をするようになってからは、いつしか私が帰宅すると「く〜ん、く〜ん」と猫撫で声を出しながら私のぷにぷにしたお腹によってきてはくっついて一緒に寝る、という仲にまでなっていました。

私がこたつの中でうとうとしていると、ヨタヨタと歩きながら私のお腹の横にピターって体を寄せてお昼寝をし、私がこたつからベッドに移動すると、ヨタヨタと起き上がりベッドまでやってきて私のお腹に体をくっつけて座るのでした。

「私以上にくっつきあってるんじゃないの?」

ときたま妻からちくりと言われます。

「これこれこれ、わんこと一緒にしたらダメだよ。」

と交わしますがどうやら私が妻を見る目と、ももを見る目が違うらしい。ももを見る目は愛でているらしい。

ももに私の愛情が伝わったのかどうかは知りませんが、寝るときにももは私と妻のベッドにやってきて、顔を私の顔に近づけてきます。すると妻が「もも!お尻を私の顔につけないで!」と叱ります。いつのまにか、ももの中での私と妻のランキングが入れ替わっていたのかもしれません。これには口には出さずにも「うっしっし」となっていたのは間違いありません。そんなこともあり、さらにももを愛でるようになっていました。

奥津温泉に行こうか、どうしようか

泊まりの旅行は別ですが、その日どこかに出かけるといった場合は行き当たりばったりで行き先を決めるようなところがある2人。

この日、鶴山公園に行くことになったのも朝食後「桜が見たいね」という一言からでした。鶴山公園での花見が終わりこれからまっすぐ帰るのも良いけれど、ここまで来たのだから「奥津で温泉にでも入って帰ろうか?」という意見が出ました。

鶴山公園から奥津ヘはだいたい40分なので、行けなくもない。ただ、奥津から自宅に戻ると3時間まではいかないまでもかなり帰りが遅くなりそうでした。

夫婦ともに温泉旅行が好きで、休みのたびに温泉に入りに行きたいねと話していました。コロナでなかなか出かけることも出来ないなかでホットスパで代用したりしていましたが、ホットスパでも気分転換はできるのでこれはこれでお互い好きでした。

結局「ももの具合があまり良くないから帰ろう」ということになり、帰路につくことに。

この判断がももの最後を看取ることができたというのは大変幸運でした。

狙ったかのように外すトイレの所作

ももはトイレの所作が苦手なのか、微妙にトイレマットから外して用を足すことがしばしばありました。

新聞紙にトイレシートを敷いてトイレを作っているのですが、ももはこのシートの上にうんちやおしっこを出すのが微妙に外すのが得意?でした。

うんちにしてもおしっこにしても半分はシートに乗るものの、もう半分はシートの外に出てしまうのでした。

それが今年の明けくらいに、いつものトイレマットの大きさと間違えてひとまわり小さいトイレマットを敷いてしまったことがありました。ところが、少し小さめのトイレマットに変えてからは、なぜかトイレシートの真ん中で用を足すようになり、夫婦で「何がいけんかったんじゃろうか」となるくらいおトイレ所作が上手に出来るようになったのでした。

うんちは健康そのものでぷりっぷりの硬めのうんちが出ていました。私自身のうんちの匂いをまじまじと嗅いだことはないので比べようもないのですが、もものうんちはくさかった。それでもトイレできちんと用を足せると、

「おうおう、ももよくうんち出せたね〜 よしよし」

と言いながらぱちぱちぱちとおだててあげます。

うんちよくできたね〜と言われたときのももの「えっへん」という表情も好きでした。

亡くなる日の朝も、ご飯を食べた後にぷりっぷりのうんちとおしっこをおトイレに上手に出していました。

 

しかし夕方自宅のリビングに入ると飛び込んできたのが、ソファの上にぷりっぷりのうんちがころがっていました。私と一緒に暮らし始めて初めて目にする光景でした。そして、いつも帰宅すると尻尾をふりながらテトテト姿を見せて「く〜ん、く〜ん」と近づいてくるのですが、それもなく、コタツの奥で震えた状態でおすわりをしているももが目に入りました。ひと目で異常事態であることはわかりました。

妻の顔を見るや「ももっ!」

声をあげていました。

ももはこたつのすみっこで体をふるわせながらおすわりをしていました。ちょこんと人差し指で体を押したら倒れてしまいそうなくらい、弱々しく震えていました。

もも、逝く

いつも「ももっ」と名前を呼ぶとお尻を振りながらヨタヨタとやってくるのですが、このときはもも自身も動いたら意識が飛ぶのが分かっていたのか震えて立ち尽くすのがやっとの状態でした。妻もいつもとは違う事態にすぐに体調の急変時に飲ませる薬を取り出してももの口の中に入れましたが、薬を飲み込む力も残っていないようでした。そしてもものくちびるは冷たくなりかかっていました。

「くちびるも体も恐ろしいくらい冷たい。もうだめかもしれん…」

体は震え、口元に薬をやるももうすでに飲み込む力はありませんでした。

薬を飲ませるのはあきらめ、毛布で体を包み、少しでもあたたまるように腕の中で「もも、もも、大変だったね。おとうもおかあももものすぐそばにおるでな、安心するんよ!」

そう言いながら毛布に包まれたももの体をさすっていました。

ももは今まさに溺れている状態だったのだと思います。苦しくて苦しくてしょうがなかったと思うのだけれども、妻と私に抱えられたももは、それまで小刻みに震えていた身体の震えが小さくなっていきました。おそらく呼吸したくても出来ない状態だったのだと思います。

肺水腫で亡くなる犬は、呼吸が出来ずに苦しみながら死んでいくと言われるのですが、もうすでに意識が飛びかかっていたせいか、体をじたばたさせることもなく眠るようにももの呼吸が止まったのを感じました。

いつも口からちょっと飛び出したピンク色した舌は紫色にかわり、つめたくなっていました。

ときたまかろうじて息があるのかかすかに体が動きそうになるのを感じましたが、それ以上大きく動くことはありませんでした。

「もも!もも!もも!」呼びかけますが、反応はありませんでした。

体を揺らしたことで肺に溜まっていた水が出てきたのか、ももの鼻から提灯ができるようにふくらんだりしぼんだりしていました。

「ももが、息しとるみたいじゃなぁ」

「今にもわんわんと声あげそうじゃなぁ」

「苦しんだとは思えないくらい可愛らしい顔しとるわ」

お互いももを見つめながら呟いていました。

それから少しの間、声を殺すように涙していましたが、妻が堰を切ったように

「もも!もも!」

と名前を呼びながら泣き出し、私もついに我慢ができずに泣き出していました。

 

妻と出会ってすぐに単身赴任が決まったため、ももと一緒に暮らした時間はあまり多くはないのですが、それでも私が自宅に帰ってくると尻尾を振って嬉しそうに近寄ってきて。私が横になると、お腹にくっついて一緒に横になり、私がベッドに行くと後ろをテクテクついてきてベッドによじ登り、私の顔の近くでお腹を出して興奮してきたり。

子供の頃からいつかは子犬と一緒に生活してみたいという私の夢を叶えてくれたのがももでした。家族以外には懐かないと言われていたももですが、いつのまにか懐いていたということは、家族の一員として認めてくれたということでもあり、大変嬉しい気持ちになったことを覚えています。

以前、妻からこんなことを言われたことがあります。

「ももは家族以外には懐かないんよ。二人のことを認めてくれたのかもね」

ももは、妻と私のキューピッドだったのかもしれません。

私は、幸せでした

今、冷たくなったももに話しかけても何も返してはくれません。限られた時間ではあったけれど、ももと過ごした時間は私にとってかけがいのない時間となりました。

肺水腫は呼吸が出来ないことから死ぬ間際はバタバタと苦しみながら亡くなることが多いようですが、ももは二人の腕の中でおとなしく息を引き取りました。

私は、言葉にできないくらいとても幸せでした。もももきっと幸せだったよね?幸せだったらいいな。

ペットと一緒に暮らすという覚悟

ももが永眠した翌日、ももを連れて妻の実家に行きました。妻のご両親もももの訃報にはびっくりして泣いてくれました。よく妻と旅行に行くときにはももを実家に預けていたので、ももにとっては私以上に勝手知ったる家ですから、家の庭先に咲く桜の木下に埋葬することになりました。

これから毎年、桜吹雪が舞う頃にももの命日を迎えることとなり、これからずっともものことを忘れることはないでしょう。

『ペットと一緒に暮らすということは、いつかお別れの時がやってくるということ』

妻と結婚して暮らしていくとなると、ももと一緒に暮らしていくということでもあり、どちらが先にお別れをするのかは分かりませんが通常であれば先に亡くなるのはペットの方です。いつかお別れの時がやってくる、この言葉の持つ意味を私は分かったつもりで分かってはいませんでした。

こんなにも胸元をえぐられるほどに苦しくて涙が止まらないものなのだと、大切な命が自分の目の前から消えていくのを見て、『ペットと一緒に暮らすという覚悟』とはこのことかとようやく実感したのでした。

「好き」の反対は嫌いではなく「無関心」

こんな思いをするのならペットと暮らすなんて安易に考えなければ良かった、とも思うけれど、自分のスマホで撮影したももの写真や動画を見ながら、そこに一緒に写っている自分をみて「あぁ、こんな自分もいたんだな」とあらためて思い知らされました。

 

15年以上昔、私がまだ別の仕事をしていたころパソコンのオンラインゲームにどハマりしていた時期がありました。MMORPGのはしりともなった時代で、まだスマートホンなんてものはなく、ネット上で他人と繋がることができることに魅了されていました。

パソコンのチャット画面を通してでしかやりとりのないお互い顔も名前もわからないネットの世界。

そんな男か女すらも分からないネットゲームに熱中していた時代に上司に言われた言葉があります。

「好きの反対語って知っているか?」

「嫌いだと思います」

「そう思うか?」

「はい」

「答えはな、嫌いではなく、「無関心なんだ」」

当時はこの意味がよく分かりませんでした。好きの反対は嫌いだろ?何言ってんだ、コイツは。変な屁理屈で考えを押し付けようとしているんじゃない?

当時の上司の言っていることがよく理解できなかったので、私は上司のことが「嫌い」でした。はっきりと口に出して「あなたのことが嫌いです」そう言ったこともありました。ですが、当時の上司は私が「嫌い」の本当の意味を理解するまで私のことを叱り続けてくれました。私が「好き」の反対が「嫌い」ではないということが理解できるようになるまでに4年近くかかりましたが、その間上司は私に嫌われ続けても叱り続けてくれていたのです。

言葉の意味が理解できたとき、私は人目を憚らず号泣しました。

気持ちが堰き止められず、涙が止まらない状況としては、まさに今の状況と似ているのかもしれません。感情が抑えきれなくなっていました。

この元上司と出会っていなかったら、私は色々なご縁に気がつくことすらせず、多くのものを見逃していたと思います。

いつまでも私の中にはももがいる

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 こちらの写真はももが亡くなる2週間前。私が寝ている横で寝ていたもも。写真を撮ろうとしたら起き上がってきたみたいです。

比べてみると分かりますが、やはり亡くなる当日はうつろな目というかトロンとしています。気がついてあげられていたらもう少し一緒にいれたのかもしれません。

月曜日からまた仕事なので日曜日の夕方には小倉に戻ってきました。新幹線の中でももの写真を1枚1枚見ていたら、写真と動画を同じくらい撮影していました。

小倉に帰るまでの1時間半、ポロポロと涙を流しながら動画と写真を眺めていました。

これまで写真や動画を撮影する習慣がなかったのですが、ももと一緒にいるようになってからは撮影したり動画に収めたりするようになっていました。

決してこうなることを予期していたわけではないですが、今となっては記録しておいて本当に良かったと思います。

私の人生を幸せなものに変えてくれたもも

今の妻との幸せのキューピッドとなったもも

これからもずっともものことは忘れない

来年、桜吹雪が舞う頃に、ももの眠る桜の下でお花見をしようね。