かなと思いますという曖昧な言い方について。

こんにちは、のだめです。

 

出張も終わり、いつもの平然とした日常が戻ってきました。

昨日はほぼ寝ないで仕事だったこともあり、今日はグッスリ寝過ぎてしまい、見事に寝坊しました。

 

いつもは、Zipが始まる時間に目が覚めるのですが、今日は起きてテレビをつけるとスッキリが始まっていました。。

 

急いでシャワーを浴びて着替えて出勤してきたのですが、出勤の支度をしているときに、あまり好きでは無い言葉がテレビから流れてきたので、耳に残ってしまいました。

 

「〜なのかなと思います」

 

という言い方。

 

ハンドボールの肘打ち問題についてのニュースだったと思うのですが、そのことについて、専門家が見解を述べる場面で、この言い回しが出てきました。

 

「〜なのかなと思います」という言い方で見解が締められました。

 

私は、この「なのかなと思います」という言い方は、どこか自分の発言にあまり責任を持てない言い回しに聞こえてしまうので、あまり好きではありません。

 

それが一般市民の見解などのコメントを載せるのであれば、あくまでその一般人個人の見解として、「そうじゃ無いのかなぁ。(私はそう思います)」的な発言として受け取れるのですが

 

専門家が、「今回の肘打ちの件に関して(専門家が今回の一件についての発言をしつつ)〜なのかなと思います」と発言したので、

 

専門家なのになんで、「〜なのではないか」とか「〜であると思う」とかはっきりと言わないのだろう、と思ってしまったわけです。

 

「なのかな発言」については、今に始まった事ではないので、別に気にするほどのことでもないのかもしれませんが、ちょっと気になってしまったので、調べてみることにしました。

 

すると、東京外国語大学留学生日本語教育センター論集にて鈴木智美さんという方が

意見表明に用いられる「かなと思う」ー対立・摩擦を避け内に向かう言葉ー

という論文を出していました。

 

コレを読んでみて、「あぁ、なるほどな そういう意味として使われているのかもしれないな」と思える内容だったので、ここで紹介してみたいと思います。

 

 ここ数年、テレビの報道番組や時事的な内容を扱う番組などを見ていると、評論家が解説を行う際、政治家が記者会見を行う際、あるいは一般成人の人々が街頭インタビューなどで意見を求められた際などに、「〜かなと思います」という形式を用いて、自身の見解・意見を述べるようすが、度々見られるようになってきている(1.本稿の目的より一部引用)

 

続いて、論文を発表した鈴木さんは、「かなと思う」という形式について

終助詞「かな」は、「くだけた話し言葉」であり、「独り言」を述べる形式である。(抜粋)テレビ番組における解説・コメントというのは、多くの視聴者を対象として述べるものであり(抜粋)報道番組のコメントとしては本来そぐわない形式ではないだろうか

と、問題提起しています。

 

この問題提起に始まり、「かなと思う」という言葉を分解し解説が始まります。

  1. 終助詞「かな」+と思う
  2. (「の」+)終助詞「か」+終助詞「な/なあ」+と思う

この2つに言葉を分解し、それぞれについての意味を考察しています。

1.についての見解は以下

従来「かな」は、自身の疑念を独話的に述べるものとされている。(抜粋)この独話的な「かな」の使用が、専門家の行うコメントとしては、若干の違和感を生じさせる

2.についての見解は以下

説明のモダリティを表すとされる「のだ」が、「のか」という疑問形式をとり、終助詞「な/なあ」が付加されたもの 

ここで使われているモダリティとは、話しての判断や認識、またそれを表す文法的範疇という意味のようです。(知らない言葉だったので調べました)

 

そして、この論文では、さらに「かなと思う」という言葉を分解し、それぞれの持つ言葉の意味についてまとめられています。

「かなと思う」の「かな」について

「かな」は主として話し言葉で用いられ、話して自身の疑問の気持ちを聞き手に問いかけることなく表明する、すなわち独話的に疑念を表出することを主たる働きとする表現である(一部引用)

 

そして、「かなと思う」の「な/なあ」について

独話的に用いられ、話して自身の詠嘆、あるいは話し手が自身の感情や何らかの事態をあらためて認識・確認したことを表す表現である(一部引用)

最後に「かなと思う」の「と思う」について

個人的な意見を個人的なものとして明示する用法であり、個人的な意見をそのまま主張することがはばかられるような場合においてよく見られる用法である(一部引用)

と、それぞれの言葉を分解した時の意味が解説されています。

 

そして、「かなと思う」の意味・用法ー対立回避と自己防衛の項において、

意見表明・コメントに用いられる「かなと思う」は、聞き手との対立・コンフリクトの生じる可能性を避け、ひいては自分自身の心理的負担を軽くするという機能を果たしている(一部抜粋)

としています。コンフリクトとは反対意見などの存在により緊張状態が生じること、という意味のようです。

 

こういった心理的負担や自己防衛機能が働くことを考えると、専門家が「かなと思う」言葉を使う背景には

事柄に対する自身の見方については明言を避けるという、曖昧な主張の姿勢を見せる(一部抜粋)

と、まとめています。

 

ここから、専門家が使う「かなと思う」という使い方と、一般成人が使う「かなと思う」という使い方について、さらに細かい説明がされているのですが、とてつもなく長いので、ここでは割愛します。

 

最後に、この「かなと思う」という言い回しについて、この論文では次のようにまとめられています。

 

ある一つの発言が不特定多数の人を様々な意味において刺激することとなったり、その結果として何らかの対立やトラブルを生み出すことになる恐れがあり(一部抜粋)意見を表明したり、ある問題にコメントをしたりする際には、他の人を刺激しないように(一部抜粋)慎重に言葉を選び、自己防衛するスキルが発達するのはやむを得ない。

 

聞き手と思考内容は共有せず、あくまで個人的な見解であることを示すということは、主張を曖昧にしつつ、自己防衛を行おうとする発言の姿勢である

以上のように締めくくられていました。

 

とても長い論文だったのですが、一通り読み終えた後、あらためて「かなと思う」という言葉について、自己防衛や対立回避の意味が含まれていると思うと、いちいち耳につく言葉ではありますが、なるほどな、としっくりきたのでした。

 

私自身、日本語を上手く使えているとは思っていませんが、こうやって言葉一つ一つを分解した上で、その言葉がもつ意味というのが見えてくると、今まで耳についていた言葉でも、受け流せそうに思えます。

 

まぁ、実際には「かなと思う」という言葉を使ってる人が、果たしてそこまで考えて使っているのかと言えば、決して意図的に使っているわけでもないとは思いますが。

 

ですが、朝から頭の中にあったモヤモヤとした感じが、スッキリ出来たので、ひとまず良かったです。

 

「かなと思う」という言葉を、自己防衛として使っている方がどれだけいるのか、ちょっと知りたいところではありますが。

 

気になっていたことを調べていたらいつの間にかもうお昼直前になってしまいました。

午前中仕事全くしていませんね 笑

 

お昼ご飯を食べてから、仕事に集中したいと思います。

 

それでは、今日も素敵な1日になりますように、のだめでした。