今と昔でお金に対する価値感が変わった

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こんにちは、のだめです。若いころ、パチンコが大好きでした。好きが高じてその業界で働いたくらいですからよほど好きだったのだと思います。学生の頃にアルバイトで塾の講師をしていた時期があるのですが、夏休みになると富士山の麓で勉強漬けになる合宿があって、朝6時から夜23時まで勉強でした。もちろん勉強をする側ではなくて勉強を教える側で。当時、塾講師の仲間全員が大のぱちんこ好きで合宿の最中も皆で『合宿が終わって給料が出たら開店からパチンコしたい』と言い合っていました。

夏休みのほとんどを塾のアルバイトで費やしたときの8月のお給料が、当時大学生だった私にとっては見たことがない金額でした。50万以上はあったと思います。

当時、学生が普通のアルバイトをすると大体10万円くらいが平均値。ガテン系の仕事をがっつりやって15万〜20万円といったところでしょうか。そうした相場感覚からすると私にとって50万円は超がつくほどの大金でした。

勉強を教える側とはいえ寸暇を惜しんでひたすら生徒に勉強を教えるわけです。当時はスマホなんてものもありません。携帯すら富士山のふもとではただの鉄の板と化します。電波が入らないので。そんな軽く隔離された空間で寝る以外全て勉強に費やすわけですから、講師側のかなり疲弊するわけです。

ですからアルバイト代をもらったときに、「やばい!こんな大金見たことない!」とドキドキしつつも、あの思い出したくもない勉強合宿に見合う金額かと問われたらむしろまだ足りないと感じてしまう、そんな金額でした。50万円。

ですが、自分にとっては50万円ははじめて手にする大金です、自分の魂をすり減らして稼いだお金なのだから大切に使おうと決めました。

夏期講習の打ち上げでパチスロに行く

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塾講師仲間でよくつるんでいたパチスロ仲間にゴトウさんとでぶお君がいました。この3人でいつも塾の模擬授業をやってみたり朝まで飲み明かしたりと、塾のアルバイトをしていた時期はほとんど一緒に生活していたといってもいいくらい一緒に過ごしていました。夏期講習の打ち上げも3人ででぶお君のアパートで飲んでいました。

「夏期講習も終わってお給料も入りましたし、自分たちのご褒美ってことで明日行きませんか?」

そう誰ともなく提案すると、「もちろん!ていうかせっかくだしこれから並びに行くか」と夜中の0時にもかかわらずアパートを飛び出していつもいくパチンコ店に並びに行きました。

イベント時は100人位並ぶ人気店ですが、さすがに深夜1時から並んでいる人はいない中で3人はお店の入り口前に陣取り、開店を待ちました。3人とも開店直前までお酒を飲み、正常な判断はすでに出来なくなりつつありました。そして、開店。

現在と違い20年前のパチスロ店のイベントはまさになんでもアリで、営業中に設定を変更したり、全台高設定という触れ込みに1000人が並ぶ激アツイベントなんかも各地で開催されていました。私たちが並んだお店でも高設定イベントが開催されていました。(※当時のパチスロ高設定でも全く出ない機種もありました)一度連チャンモードに入りさえすれば閉店まで当たりが終わらないこともザラだったので、3人ともウハウハで開店待ちをしていた気がします。

10分で1万円が溶けていく時代

今から20年前のパチスロは、爆発すると1時間で10万円分の出玉が期待出来た反面、逆噴射すると1時間で5万円負けることも度々ありました。現在のパチスロ機では5万円も使ったら回収不能ですが、当時は1時間で余裕で回収できる時代でした。1時間に5万円が溶ける、つまり1万円使うのに12分なわけです。そして7万5千円使えば1万円の最低リターンがあるバクチ台でした。私たち3人はこのバクチ台に並んで座り夏期講習で血の滲むような思い出稼いだお給料を台において遊技を始めました。

パチンコをしたことがある人ならわかる方もいるかと思いますが、1度も当たりを引くことなく5万円を使うくらいまでいくと、自分の中でのお金に対する価値観の崩壊が始まります。

5万?まだ取り返せる金額!つーかここでやめるわけにはいかない!

この確信に近い思い込みがさらに自分の金銭感覚を鈍らせていきます。

そして18時になってふと我に返ると、朝手元にあった50万円はすでになく、両手で数えられるほど少なくなっていました。そこから背中に冷たい汗が流れたと思うと一気に気分が悪くなり倒れ込みました。睡眠不足の中アルコールが入った状態でパチスロをやり、金銭感覚が狂う中で体調が限界を迎えたのでした。なんてことをしてしまったんだ、俺は。そう猛省しつつ泣きながら帰宅しました。パチ仲間のゴトウさんとでぶお君は閉店まで打ち続け、ゴトウさんは19時から連チャンが始まり閉店まで当たりが続き、プラスマイナスゼロでフィニッシュ。

でぶお君は横で大当たりが連チャンしているのを目の当たりにして止めるにやめられず、結局閉店近くまでお金を使ってしまい、負債は50万円近くになっていました。でぶお君は翌月の給料が入るまでパンの耳だけで生活しました。ひと月で20kg近く体重を落としました。

 

血の滲むような思いで学生と過ごした夏期合宿で稼いだ大金、わずか1日でほぼなくなりました。パチスロでこれだけ負けたのは後にも先にもこの時だけです。

この感覚、今パチンコ店に行っている人も同じなのかも

パチンコもスロットも自分の収入に見合った金額分で、生活に無理のない金額で楽しむから面白いのであって、生活をかけてやるものではありません。ですが、当時私が経験した中でぱちんこに狂う人の心理は、今も昔もあまり変わっていないのかもしれません。

  • 負けると思って店に行っていない

パチンコ店に行く人の100%が「よーし!今日は5万円負けるぞー!」と思ってお店にはいきません。「今日は絶対に勝つ!」みたいな感じでお店に行く人の方が圧倒的に多いです。「時間潰しできた」とか「暇ですることがないからきた」と答えていた人もいましたが、「時間潰しできたけど負けたくはないなー」とか「暇ですることがないからきたけど、負けたくはないな」と思っているはずです。

  • 金銭感覚は基本的に狂っている

私自身も経験ありますが、一定金額を使った時点で金銭感覚が麻痺します。普段であれば1万円を使う買い物は非常に迷うし躊躇うのに、パチンコ店に入ると迷わず浪費します。『ここで退いたらこれまで使ったお金が無駄になる』と考えているのですが、普段なら躊躇う金額を迷わず消費している時点で感覚は壊れているわけですが、本人はそのことに気がついていません。大抵はパチンコ店を出て外の空気を浴びてようやく素の自分に戻り、使ってしまったお金について後悔するのです。

  • 大負けを後悔するが、すぐに忘れる

そして、大金を使ってしまったことに後悔しますが、ほとんどの人は「こんなに負けた。もうパチンコなんてやらない」と思うのですが、お給料などまとまったお金が手に入ると「先月分もまとめて取り返してやる」と考えてまたパチンコ店に行ってしまいます。そんな人に「あれ?この間もうぱちんこやらないって言ってなかったっけ?」と言うと、大抵こう返事が返ってきます。「大丈夫、大丈夫。今日まとめて取り返したらやめるから」

そして案の定「負けた。もう絶対にやらない」となります。このセリフを言った数日後にまた行くことになるのですが。

  • 勝ったイメージだけが残り負けたイメージは忘れています

どうして毎回負けてしまうのに、それでもパチンコ店に行くかというと「負けたときのイメージは数日経つと記憶から消えて無くなるから」です。その期間はおよそ30日。お給料が入る期間というわけです。しかし勝ったときのイメージは当人にとっては勝利の方程式として美化されます。手元に軍資金が入った時は、この美化された勝利の方程式が頭に浮かび「次こそは」につながる、というわけです。ですから依存している人はいくら負け続けていてもお金がある限りは打ちに行ってしまうのです。

今も昔も根本は変わらないと思う

私が塾講師をしていた頃のパチンコやスロットは非常にギャンブル性が高く、1日で50万の勝ち負けは普通にありました。そのためパチンコ店で自殺する人がいたり一般世間に対してのイメージはあまり良くありませんでした。今でこそ様々な規制がかかったことでギャンブル性能が落ち着いたことでパチンコで自殺、なんてことはあまり聞かなくなりました。

ですが前述したパチンコに行ってしまう人の思考は今も昔もたいして変わっていないように思います。自粛期間中にパチンコしにお店に来た人がインタビューで「お店が開いてるから来てしまう。閉まっていたら来ない。自分が依存症なのは分かってはいるが、悪いのは自分ではない」みたいなことを言っていましたが、都合の良い責任転嫁ですね。現在新型コロナの生活支援として10万円の給付がありますが、くれぐれもあぶく銭として消費するのではなくて、目的をしっかりと持って使いたいなぁと思いました。

10万円でぱちんこに使おうと家電を買おうと価値は変わらないのですが、少なくとも使った後に後悔が残らない使い方をしたいと思います。今のところは洗濯機を買う予定です。