【昔の】パチンコ店で働いていた時の不思議な人たち【お話】

こんにちは、のだめです。人手不足で働き手がいない!とどの業界でも言われていることですが、現在働いている運送業界でもドライバー不足など深刻化しています。会社でも求人はかけてはいるそうなのですが、応募の電話を聞いたことがありません。そんな境遇な会社はきっと弊社だけではないのかもしれません。そんな状況ですが、今から7年前位まではそこまで求人には苦労する時代ではなかったよなぁと以前働いていた職場での採用面接のことを思い出していました。タウンワークに求人を出せば即日応募が10件20件と来た時代です。そんなことを思い出しつつ今回は、今から7、8年前のとあるパチンコ店に求人をかけた時に応募してきた不思議な人たちについて記事にしてみたいと思います。それではご覧ください。

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トリリンガルな女子大生

A子さんは地方から出てきた現役女子大生でした。学費と生活費を稼ぎたくて応募してきたのですが、この面接がはじめてのパチンコ店入店だったみたいであまりのうるささにビックリしていました。笑顔が可愛らしいのと初めての人とも上手に会話ができたので採用になった子でした。基本的にバイトの応募者におかしな点や不審点などがなければ採用するというスタンスで求人をかけていたころでした。

「A子さん、特技はなんですか?」

『はい!わたしこうみえてもトリリンガルなんです!3カ国語が話せます!』

「へぇ、3カ国後。すごいねぇ。何語話せるの?」

『英語・日本語・中国語です!』

「ほぉ、それまたすごいね。それにしてもそんなに外国語が達者なのにどうしてパチンコ店に応募してきたの?」

『はい!お店に来る外国人と仲良くなりたいです!』

「へぇ、それは面白そうだね。A子さんがいたら心強いなぁ」

そんなやりとりをした記憶がかすかにあります。しかしアルバイト1日目が終わった時の終礼でA子さんは

「ここでは私が求めている人(外国人)には出会えそうにありません。辞めます。」と初日で辞めてしまいました。

辞めた原因は常連の中国人のお客さんに話しかけられて上手く話せなかったからです。中国語が話せなくて日本語で対応しているのを他のスタッフに見られてしまったのが辞める原因でした。

背中一面にお釈迦様

元アパレル店長だったK君、結婚して実家の仕事を継ぐために戻ってきた子持ちのイケイケお兄さん。趣味が日サロというくらい週3で日焼けに勤しむイケイケなサーファーという見た目とは違い、接客はさすが元アパレル店長だけあってお客様の心を掴むのも早く、常連様にもすぐに打ち解け人気スタッフになりましたが、『俺の後ろに立つな』とでも言わんばかりに背中を見られるのを極度に嫌がる不思議な一面をもつK君でした。

更衣室で着替えるときにいつも背中を見せずにヘンテコな格好で着替えるK君をみて同僚が「背中に刺青でも入れてるんじゃないんですか〜?」と言いながらK君の制服を突然めくりあげました。めくりあげられたK君の背中にはそれはそれはとても綺麗なお釈迦様がいらっしゃいました。あまりに突然のことだったとはいえ、それを見られてしまったK君はその日の夕方辞表を提出して辞めていきました。「若気の至りとはいえ入れたことに後悔しています。仕事にも慣れてきましたが、従業員にバレた以上いずれお客さんにもバレる日が来るでしょう。そんな惨めな思いはしたくありません」そう言って辞めていきました。

大川君

見た目が鼠先輩にそっくりな大川君は大のお酒好きでした。会社の忘年会で男性従業員が社長にお酒を注ぐイベントがありました。社員一同とっくりとおチョコをもって挨拶に行くのですが、

社長が酔い始めると「お前の器はそんなものか〜」とおちょこを持つ社員を罵倒します。

幹部社員含めてお酒がそこまで強くない中で、大川君だけは違いました。

まだアルバイトながら『社長!僕の器を見てください!』と突然大声を張り上げると

社長の後ろにあった花瓶に手をやり『社長!これに注いでください!』

と花瓶に日本酒を注いでもらい大川君は見事に一気飲みで飲み干したのでした。

それをみた社長は「大儀であった!見事なり 大川よ 明日1日の限定だが店長に任命する」と大川君に一日店長を命じたのでした。大川君も「もったいないお言葉。有り難く頂戴致しまする」と返しました。

翌日その大川店長が出社するのを従業員一同待っていたのですが、彼はその日を境に二度とお店に来ることはありませんでした。彼の身に何があったのか、あれから数年が経ちますが今でも元気にしているかたまに思い出します。

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知らない人に拉致られたM君 

自称元ホストというM君ですが、2枚目というよりかは3枚目よりのおとぼけキャラでした。それと同時にちょいちょいいろんなところで小さなウソを重ねるM君でしたが、ウソをついていることを自覚していないのが可哀想なのでした。ある日出勤日にもかかわらず出社してこなかったM君、電話するもつながらず。翌日も出勤してきませんでした。そしてその翌日ひょっこりお店に来たM君。開口一番『すみません。ここ数日知らない人たちに拉致られてて身動き取れませんでした』と言い出すM君。しかし彼が無断で休んだその日、他の従業員が女性と楽しそうにファミレスで食事をしているのを見ていたのでした。

はぁ、またいつものウソで言い訳か、と思いつつ「無断欠勤したその日、君を見たって人がいるんだよね」と言うとM君は微動だにせず

『多分、僕の弟ですね。よく言われるんですよね』と言い放ちます。

面接の時に彼は『身内は母親と姉がひとりと自分の三人暮らしです』と言っていたためこれもウソだとすぐに分かるのですが、M君はそのあともすぐにバレるようなウソを重ねていき、辻褄が合わなくなった頃に『すみません・・・全部ウソです。もうウソが思いつきません』と観念。あまりにウソが多すぎて履歴書なんかもウソなんじゃないかってことで、彼には辞めてもらいました。偶然にもM君とはLINEが登録されたままになっていて、数年後結婚して娘さんも生まれたようで安心しました。

禁食22日目の男

面接の時も少しやつれているなぁとは感じていたものの、やる気と生活費を稼ぎたいと言う熱意を感じたため採用したD君。採用当日会社に行くと入り口のシャッターで蓑虫のように蹲っている人を発見しました。D君でした。面接をした日に財布をなくしてしまい全財産を失ってしまったとのこと。3週間近く水だけで生活してきたため、動くのが限界に近かったけれど、今日は初出勤の日、今日休んだら仕事クビになると思って来たと言うD君でしたが、すでにもう頬もこけて痩せ細った状態だったため、あぁこのままにしていたら死ぬなと思った私は今日は帰るように伝えました。『いえ、働かせてください!今日働いてお金を稼がないと僕は、僕は!明日から生きられるかわからないんです!』と働く意思だけはものすごい熱量を感じ、とりあえずコンビニで弁当をありったけ買ってきて「働く前に飯を食え。働くのはそれからだ」と休憩所に招き入れ食事を提供しました。

そして開店時間を迎え、D君の体調を確認しに休憩所に行ってみると彼の姿はありませんでした。そして休憩所に置いてあったタバコやら貴重品なんかがごっそりと盗まれていました。D君は働きに来ていたわけではなく、盗みに来ていた泥棒だったわけです。魔が刺したのか、そもそもそれが目的だったのかは分かりませんが、盗みを働き休憩所を出た後防犯カメラに向かって何度もおじぎをしているD君がいました。この日は警察が現場検証に来たりと散々な1日でした。

彼のおかげでアルバイト初日は誰か必ずパートナーを組ませてひとりにさせないルールができました。

引きこもり歴15年の女の子

小学生の頃から引きこもりになり、それ以来社会との関わりを一切断ち切ってきたS子ちゃん。アルバイトの面接の電話をしてきたのはS子ちゃん自身ですが、その電話で数年ぶりに声を出したというのだから開いた口が塞がりませんでした。上司から「この子が社会に復帰できるように教育するように。仕事は出来るようにならなくて構わない。というか仕事はさせなくていい」という良く分からない指令がありました。そのため、仕事を教えると言うよりも他人を見ても怯えないように目を見て話をしてみたり、声を出して話が少しでもできるように頑張ってみました。後にも先にも引きこもりの人と関わりを持った貴重な体験だったと思います。死んだような表情ではあったものの、社会に出てある程度コミュニケーションを取れるようになったら、愛嬌のある可愛さでなんとかなっちゃうんじゃないかなぁとも思いました。

「仕事は教えなくていい」とまで言われていたので、他人と話せるようにを目標に取り組んできたものの彼女が変わることはありませんでした。ちょうどこの時期、上司から様々なしごきを受けていた時期と重なります。実は引きこもりを続けた子を出汁にして私が他人に興味を持てるように更生させるのが真の目的だったと上司から数年後にカミングアウトされました。荒療治ではありましたが結果的に私自身が他人に興味を持てるようになったのがS子ちゃんだったので感謝しています。S子ちゃん、今はもう社会に出て生活しているのかなぁ。。

80歳のおじいちゃんが応募してきた!

当時求人を載せる際の条件として、年齢制限はつけないでくださいという縛りがありました。理由は詳しくはわかりませんが、「20歳〜39歳まで」といったような年齢制限はダメ、ということです。そんなわけで求人欄には、「働く意思のある方なら誰でも」といったような文言で掲載となりました。そんなとある日、アルバイトの応募の電話に出てみると、電話口から聞こえてきたのはしゃがれ声で話すおじいちゃんでした。

「わしゃーのー、パチンコ歴50年なんじゃ。あなたよりもパチンコ歴は長い。だから採用してくれ」みたいな感じで言われました笑

当時は昔ながらのドル箱営業をしていたため、ドル箱を何箱も持ち上げたりする体力を必要とする時代でしたので、そのことをおじいちゃんに伝えると

「わしゃーのー、パチンコ歴50年なんじゃ。あなたより・・・」

私の声が聞こえていないようで同じことを繰り返します。それと合わせて声がどこかで聞いたことがあるような感じだったので、とりあえず面接だけはすることにしました。

面接日当日やってきたのは予想通り常連のおじいちゃんでした。家にいても誰にも相手されない、かといって最近はパチンコするお金もない、ということでパチンコ店で働けば誰かと話ができていい時間潰しになるんじゃないかと思って面接に来たとのこと。

おじいちゃんには採用不採用とは伝えず、「パチンコなさらなくてもお店に来てくださって大丈夫ですよ。お店に来店していただいた際にはお茶を出しますので、ホールの休憩所で寛いでください。知り合いの方たちのお話相手になってやって下さい」と伝えました。

それから毎日開店と同時にお店にやってきては知り合いが来るまで休憩所でくつろぎながら知り合いに会えば和気藹々とお喋りを楽しむおじいちゃん。そして15時頃には家に帰っていくのでした。自分が見かけたときは「これ、よかったらどうぞ」とお茶菓子を出したりして長居してもらってました。

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実は、おじいちゃんの来店が始まってからというもの、年配層の来店比率と店での滞在時間がデータを見ても良くなっているのが分かり、これは『おじいちゃん効果』だと感じた私は、出来るだけ来店してもらおうとお茶やお茶菓子を欠かさずに出したり、軽食を出したり、雨の日にはタクシーを呼んであげたりと出来るサービスはしていました。

数ヶ月程そんな状態が続いたのち、ぱったりとおじいちゃんの来店が止まりました。それからさらに時間が経ち身内の方が来店して、おじいちゃんが亡くなったことを伝えられました。亡くなる数ヶ月間は毎日が凄く楽しそうにしていたと言われ、思わず私も涙を流したのを覚えています。

その後お店もおじいちゃんにしっかりとご挨拶をしておきたいと身内に伝えて私と上司で線香をあげに行きました。良い思い出です。

まとめ

今となっては珍しいくらい個性の強い子たちばかりが応募に来た時期もありましたが、そんな彼らも歳を重ねて今はしっかりと働いているのでしょうか。今日はパチンコ店で出会った不思議な人たちについて記事にしてみました。それでは、のだめでした。