9年前3月11日のできごとを思い出してみた

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9年前の午後2時46分、私は現場で仕事をしていました。突然の大きな地震。いつもなら少し時間をおいてすぐに落ち着くのですが、この日は違いました。とても、とても大きな揺れが店を揺らしました。大急ぎで店内にいたお客さんを店の外に誘導し避難させます。外に出て見た異様な光景。駐車場に止まっていた自動車がまるでトランポリンに乗って踊っているかのようにポンポン跳ねていました。ふと、視線を上げて目の前の高層ビルを見てみると、これまた今までに見たことがないような、まるで振り子のように大きく揺れているのを目にしました。これが、私の経験した9年前の3月11日。パチンコ店の店内、これまでに経験したことのない大きな揺れで、高齢のお客さんを優先的に店の外へ誘導。倒れている人がいないか店内を見回すと年配のお客さんが席に座って微動だにしていない、大地震にもかかわらず逃げようとしないそのおじいさんに声をかける。

「お客さん、早くしないと危険です。すぐにハンドルから手を離して避難してください!」

『やっと当たったんじゃ。ここで止めるわけにはいかないんだよ』

そう言いながら動こうとしないお客さんを無理やり遊戯をやめさせて避難させました。こんな非常事態にもかかわらず、思わず笑ってしまいそうな話ですが、パチンコ店にはこうした常識の通用しないお客さんは少なからずいます。地震で避難するよりも目の前の大当たり。液晶に釘付けになり周りで何が起きているのかまで気が回らないお客さん。店内客の避難が終わり床に散らばる数多の銀玉を見て、今後の自分の人生について考えた初めての日かもしれません。

輪番停電と店休

電力不足によってはじまった輪番停電、パチンコ店ももれなく対象となりました。が、結局1度も停電することはありませんでした。事前にこの日この地区は○時から○時まで停電しますと計画にはありましたが、ことごとく停電予定時間の1分前に停電回避の連絡が入り、インカムに「今日の輪番停電、回避」という連絡が入りホッと胸を撫で下ろしたのを覚えています。前述の通り、パチンコ店には常識の通用しないお客さんが一定数いるため、事前に停電すると分かっていても実際に停電すると何かしらトラブルが起きると予想されたからです。そうなったらおそらく対処に入るのが自分だったため、停電の予定時刻が近づくにつれて胃が痛くなったことを覚えています。

また、電力不足を補うために私たちの地区のパチンコ店はあらかじめ店休日を作ることとなりました。どうせなら一斉に店休にすれば良いのにと当時は思ったものですが、一斉に店を占めると「他の地域に客が流れるので、地区に客をつなぎ止めておくために店休日はずらす」という手段を取りました。世間から電力の無駄遣いと一斉にバッシングを受けていた時期ですが、そんなときでも自分たちの利益だけは確保しておきたいパチンコ店同士の思惑がありました。どの店も世間からのバッシングによる客離れを最小限に防ぐために手を組んだ最初で最後の時期だったのかもしれません。

最初で最後の同盟関係

基本的に同じ地区にあるパチンコ店同士は敵同士です。チェーン店であれば話は別かもしれませんが、そうでなければ『お互い仲良くパチンコ店経営』はしていないでしょう。ですが私たちの地域は7店舗ありましたが、ほぼ全ての店舗が一時的に同盟関係を結びました。とにかく地域からのお客さんの流出を阻止すべく合同イベントを開催したわけです。同じ時期にファン感謝デーもありましたが、同盟関係を組んでいる店舗同士で抽選時間がかぶらないよう、各店内にそれぞれの店での抽選会時間を掲載したり、野菜の詰め放題やらレトルト詰め放題など、とにかく出玉意外でお客さんを地域に呼び寄せるイベントを開催し続けました。

出玉以外のイベントを開催したのは、もちろん出玉を出して客に還元はしたくないという意図はもちろんあったのでしょうが、それよりも遊戯客以外も取り込むことで極度にバッシングを受けていたパチンコ店たたきを少しでも緩和したいという意図があったのは間違いありません。そんな特別な時期だったこともあり、店を超えた交流会という名目でボーリング大会や飲み会も開催されました。他店の事務所に警戒なく招き入れられたことも特別な時期だったからだと思います。半年ほどこの地域の同盟関係は続いたものの取りまとめていた代表が退社したことから足並みが揃わなくなりなし崩し的にこの同盟関係は解消となりました。

イベント規制のはじまり

普通の生活から一変した震災後、パチンコ店を取り巻く環境も少しずつ変化していくことになります。いわゆるイベント規制です。射幸心を煽る文句は一切使えなくなります。設定6とか○○イベントなんかは当然ダメで、特定の人が利益を取れるような優遇措置も取れなくなりました。リニューアルオープンを行い、店舗外に大きな垂れ幕を掲げたところ、翌日所轄から指導を受けました。この頃から一気に締め付けが厳しくなっていくこととなります。この頃から少しずつパチンコ店で働きたいと応募してくる人が減り始めました。それまでは求人を出せば翌日には応募の電話が殺到していましたが、少しずつ応募者が減っていき求人を出しても1件も応募がないということもザラになっていきました。求人を出しても応募がなくなったことにはパチンコ店の大型化が原因と一つと考えられると思います。2011年から軒並み中小規模の店舗が年間500〜600の店数で減少していきました。店を閉めていったのは中小規模の店舗がほとんどでした。これとは逆に大型店舗の出店が目立ち始める時期となりました。そんなターニングポイントとなった日が3月11日だったのかもしれません。

今、私はこの業界からは足を洗い全く別の仕事をしています。前職で経験した知識は今の人生ではあまり役に立ってはいませんが自分のことを見つめ直すにはちょうどいい機会だったのかもしれません。日本全国をどん底に陥れた3月11日。9年前のあの日、私は何を考えていたんだろう、そんなことを思い出しつつ今日は記事を書こうと思いました。毎年この時期が来ると当時のことを思い出します。あの日思ったこと、感じたこと、心に決めたこと、少ない脳みそで色々考えたと思いますが、あれからもう9年が経ちました。振り返るとあっという間ですね。この震災で被害に遭われた方々のご冥福を祈りつつ。のだめでした。