どうして人は訳の分からない夢を見るのか

おはようございます、のだめです。

 

最近、といってもここ数日ですが、昼食を食べた後に昼寝をすることがあります。1時間ほど。仕事中に昼寝をするなんてけしからんというツッコミは今日は置いときます。

 

この1時間というのは、スマートウォッチに寝入った時間と起きた時間が計測されているのでかなり正確と思われます。

 

で、この1時間の昼寝をしているときにしょうもない夢をよくみます。

 

ここ2、3日で昼寝している時に見た夢で覚えているのが以下になります。

 

夢の内容

1.試験中の場面で、私は遅刻して会場到着。しかも会場がなぜか紀伊国屋書店の奥。自分の席に着席したら、試験官が前の会社の社長。オレンジ色のスーツを着ている。問題用紙が配られると同時に試験開始。試験問題を見るとわかる問題ばかりでサクサク解けるのだが、問題用紙が強力なバネのようなもので開きにくくなっていて、ページ開くたびにとてつもない力が必要。英訳問題が出題される。中1で習うような簡単な問題だが、ボールペンを持っていないことに気がつき相当焦る。焦ったところで目がさめる。

 

というものと

 

2.ブログをはじめてから数ヶ月が経った私。何気なくアクセス解析をアプリで見てみると突如アクセス数が激増していることを知りびっくりする。突如自分の記事がバズったことに驚き、原因を探るがどの記事が原因か不明のまま。アクセス数急増で広告収入が入り、ダブルの驚き。執筆依頼が来て3度目のびっくり。執筆を始めようとメモ帳に文章を書き始めたところで、ボールペンを持っていないことに気がつきハッとして目がさめる。

 

というものです。

 

どちらもラストはハッとさせられるような終わり方で目がさめるので、どちらかというとあまり嬉しくない展開なのですが、どうしてこのようなしょうもない夢を見るのだろうと思いました。

 

辻褄が合うというか、合理的に説明がつくような夢であればまだ良いのですが、状況やらなにやらまでなんとも言えない、場面場面のツギハギを無理くりしてくっつけたような進展に、今ひとつしっくりきません。

 

ほんとどうしてこんなしょうもない夢を見るのだろうかと、少しだけ調べてみました。

 

すると、「どうして人は、訳の分からない夢を見るのか」という、まさに私が今遭遇している状況の通りの題名で記事が書かれていたため、この記事を参考にして自分のみた夢を検証していきたいと思います。

 

そもそも夢とは

1.記憶をランダムに繋ぎ合わせて夢になる

夢とは「記憶」の集まり。これまで見聞きしたことや経験したことがいくつもつなぎ合わさって、夢になる。・・・数ある記憶の中からランダムに取り出し適当に結びあわせて、つじつま合わせをする。その結果、夢のストーリーが作られる

上記の理由から、夢で見た内容というのは、自分の記憶の中にある場面をランダムに取り出して適当に結びあわせてストーリー仕立てになっているということです。

 

なんの関連性のない記憶がくっつきあっていても、その場面ひとつひとつに深い意味はないので、意図を講じる必要性はないようです。

 

2.長期間、繰り返し見る夢は気をつけたほうがいい

実は、夢の内容は基本的に悪夢が多い。圧倒的に多いのは不安や恐怖などのネガティブな刺激により興奮し、その強烈な情動体験が夢になるため、悪夢が多い。

 

夢の内容に関わらず、夢を多く見ること自体あまり健康的な眠りではないことの表れ。夢を多く見るということは、それだけ中途覚醒が多いということである。夢の回数が増えれば悪夢を見る確率もおのずと高くなる。

 

悪夢の多くは、全く問題のない「普通の悪夢」だが、精神的な問題がベースにある悪夢は、PTSDなど孤独で抑うつ傾向や自殺を考える傾向があることが明らかになってきた。

と記事にはありました。

 

3.夢を見ているということは、まさに夢を”見て”いるということ

寝ている人を起こすと、「あぁ、今夢を見ていた」と答えるタイミングがある。まぶたを閉じて眠っているが、このとき、眼球が上下左右に忙しく動き回る睡眠(=レム睡眠)と眼球運動を行わない睡眠(=ノンレム睡眠)。どちらの状態でも夢を見るが、動きのある夢はレム睡眠で、逆に静止画像のような夢はノンレム睡眠時によく見られる。

とあるため、私の見た夢は、まさに自分の目で見ていた夢、ということになります。

 

4.夢を見ている時は脳の視覚野が活動する

夢を見ているとき、私たちの脳は自発的にリアルな画像を作り、それを目で追って見ている。夢はまさに自分自身が作る究極のバーチャルリアリティといえる。

最後に、夢は記憶の断片を材料にして自分自身の脳が紡ぐリアルな物語と言えるが、なんのためにそんなことが起こるのかは未だ解明されていない、とのことです。

 

 

とまぁ、こんな感じで夢をみるということについてひととおり解説した後で、私が見た夢を解読してみます。

 

1.試験中の場面で、私は遅刻して会場到着。しかも会場がなぜか紀伊国屋書店の奥。自分の席に着席したら、試験官が前の会社の社長。オレンジ色のスーツを着ている。問題用紙が配られると同時に試験開始。試験問題を見るとわかる問題ばかりでサクサク解けるのだが、問題用紙が強力なバネのようなもので開きにくくなっていて、ページ開くたびにとてつもない力が必要。英訳問題が出題される。中1で習うような簡単な問題だが、ボールペンを持っていないことに気がつき相当焦る。焦ったところで目がさめる。

 

夢は、幾つもの記憶の集合体である、ということから、上の夢はいくつもの切り取られた場面をくっつけた夢ということになります。

 

  • 何かの試験中
  • 遅刻して会場に到着する
  • 試験会場が紀伊国屋書店の奥
  • 試験官が前の会社の社長
  • 試験が始まる
  • 試験問題はとても簡単でサクサク解ける
  • 問題用紙にバネがくっついていて開くのに力がいる
  • 英訳問題を解く
  • ボールペンを持っていないことに気がつき焦る。

ざっくり夢を分解すると、9つに分かれました。

場面を切り取ってみたところで、「夢に関連性はない」と言われているので掘り下げようもないのですが、試験会場が紀伊国屋書店というのはつい先日横浜に行ってきたときの場面だったので、あぁ、この時の記憶かな、と。

 

試験官が前の会社の社長というのも、先日お盆休みで実家に帰省した時に、地元の友人と食事した時に社長の話題が上がり、社長が昔消防隊のレスキュー出身だったという事実を知ったことから、オレンジ色のスーツを着ていた理由が分かった気がする。

 

英訳問題を解く、というのは今まさに通関士の試験で、英語で書かれた仕入れ書を読み解いているので、そのときの記憶かな、と。

 

問題用紙にバネがくっついていて、ページを開くのに力がいるというのは、最近では経験していないので、昔にそれに近いような経験をしたのかもしれない。

 

もしかしたら、問題が分からなすぎてページを開きたくない、ということかもしれない。

 

問題をサクサク解いているのに、ボールペンを持っていないことに焦るというのは、私の場合外で勉強することが結構あって(iPadを使う時とか)、ペンを持たない勉強も多々ある。

 

ひとつひとつ分解してみると、最近経験した場面やそうでない場面が入り混じっていることがわかります。

 

そして、夢を見ていた時にはっきりと感じていたのが、それぞれ無作為につながった夢にも関わらず、しっかりとストーリー化されていて違和感を感じていなかったことです。

 

目が覚めてこうしてその時見た夢を思い出してみると、なんだこれはと思うのですが、夢を見ているときは、さもそれが実際に起きているかのように違和感を感じずに体験しているんですよね。

 

どうせみるならもっと嬉しい夢をみたいものですが、基本的にみる夢は悪夢が多いようなので、私が見た夢は悪夢の中でもわりとほっこりとした悪夢に分類されると思います。

 

寝汗をかくほどに恐ろしい夢でなくてどこかホッとしています。

 

とにかく夢を見るというのは、中途覚醒時間が多いということで体が完全に休まっていない時間が長いことを意味しているようですので、しっかりと体を休められるようにしたいものですね。

 

それでは、今日も素敵な1日になりますように、のだめでした。

 

引用した文は下記参考記事より引用・または一部抜粋しています。

参考記事:日経Gooday 2015/10/5 「どうして人は訳の分からない夢を見るのか」