引越ししたことで環境と考え方が変わりました。

自分を取り巻く環境を変える一番の方法は引越しをすることだ、そういうことをテレビだかネットだかで見たのを思い出しました。

引越しは、しようと思っても時間的にも金銭的にも簡単に出来るものではなく、そのくらいの覚悟が必要だということかもしれません。

環境が一新されれば自分を取り巻く環境も必然的に一変するということが、今の環境を変える一番の方法ということなのかもしれません。

2度の引越し

私は一昨年の11月と去年の12月の2回、引越ししました。

最初の引越しは転職に伴っての引越し、2度目の引越しは半ば強制的に引っ越す羽目になったわけですが、やはり引越しをすると環境が一変するというのは間違いないようです。

今日は2回目に引っ越すことになった経緯を記事にします。

引っ越す予定ではなかった

11月に出張という名目で、横浜から倉敷へやってきました。当初は1週間程度の予定でした。仕事の本場が中国地方、九州地方がメインのため、倉敷に来たことで現場で何が起きているのかをしっかりと目にすることができるようになりました。

現場で何が起きているのかということをありのままに報告する、というのが当初の私の出張命題でした。そして現場に来たことで感じたのは1週間では時間的に足りないということでした。

そこで、出張期間の延長を申請しました。1週間が10日になり、2週間になり、そして3週間が経とうとしていたころ、本部に呼ばれました。

「のだめちゃんさぁ、そんなに現場に居たいなら出張じゃなくて、このままこっちにいれば?」

「と言いますと?」

「出張じゃなくて、転勤?みたいな?」

「えっ・・・」

「そしたら期限なんて気にせずにいくらでもこっちの仕事覚えられるでしょ」

「たしかにそうですが」

「とりあえずもう宿(転居先)は抑えてあるからさ、12月1日からこっちに住むように」

「え、横浜の社宅に家財道具全て置いてきているのですが」

「まー、そのうち戻る機会あると思うからその時に持ってきなよ。それと断ったらもうこっちには来れないよ」

という半ば強制とも取れる異動が決まったのでした。

箱はあるけど中身がない

住むところ準備したのだから、こっちで生活出来るよねとばかりに言われましたが、家財道具一切転居先にはなく、ライフラインも一切通っていませんでした。週末に転居先に異動してきたので電気水道ガスは週明けに開通となり、開通までの数日は真っ暗な部屋でエアコンもつけられずダウンジャケットにくるまって寝るというよくわからない生活が続きました。

この寒い季節にガスが使えないというのはさすがに応えました。平日は仕事で開通手続きに立ち会えないので、ガスの開通は転居先に移ってから7日後となりました。

ガスが開通したことでようやく風呂にも入れるようになり、最低限の生活の基盤が出来上がったわけです。ガスの開通までは、電気ケトルで沸騰させたお湯をタオルにひたして体を拭くだけしか出来なかったので、温かいお湯が出た時はおもわず「ひゃっほうう」と声が出ました。

娯楽施設?ナニソレ?

新横浜で生活していた頃は、会社の近くや駅の周りには飲み屋が乱立し、外食するにも困らない生活。夜の街が好きな人であれば夜な夜な飲みに出かけられるほどのお店もたくさんあったので、生活するのには一切困らない街でした。数分歩けばコンビニも見つかります。駅前にはパチンコ店もあり、一応の娯楽施設はありましたし、電車も数分おきにやってくるため、乗り遅れても特に問題ありませんでした。

倉敷の転居先は、18時にもなると商店街はシャッターがガラガラと降りどんどん閉店していきます。というか日中も半分はしまっています。いわゆるシャッター街です。

電車は1時間に1本、バスも1時間に1本、コンビニは自転車で10分程かかり、外食しようにもお店がありません。工場街のため、飲み屋はソコソコあるのですが、一見が入るにはちょっと入りづらくまだ行けていません。

横浜で生活していた時は、インフラも整備されていたので車に乗る必要性もなかったのですが、こちらでは車はマスト、むしろ車がないととにかく不便です。

環境が変わったことで良かったこと

というわけで、横浜の生活とはほぼ全てが一変しましたが唯一環境が変わって良かったと思うことがありました。それは、人が大勢いるということでした。

横浜では、トラブル報告が上がり、出張になるまでほぼひとりでした。事務所にいても1日中電話が鳴らないこともざらだったので、人と話すことがほとんどありませんでした。

コンビニで店員さんとの「あ、箸は結構です」の一言だけであとは何も話さない日もありました。ですが、今は職場が工場内にあるため、人と必ず会います。電話もバンバンかかってきます。日によっては電話をどれだけとっても鳴り止まず、担当者につなげるだけであっというまに時間がすぎることもザラです。こうして周りに人がいる環境に戻ってきたことで、孤独感から抜け出すことだけは出来ました。

ですが、現場を見たことで日々問題点も溢れていて、どれから手をつけていこうかと迷うことも。ただ、そういう迷いも贅沢とも思えるくらい、独りじゃなくなったという今の環境には感謝しています。

環境が変わると、考え方も変わる

自分が何の仕事をしているのかよくわからないまま、何となく資格の勉強して毎日を過ごし、毎月給料が振り込まれる。仕事は特にしてないけど給料だけはもらえるという環境が良いとか羨ましい!という人も中にはいるのかもしれませんが、私には無理でした。

また現場入りしたことで給料は下がりました。横浜では物価支給という項目があり、基本給の20%が上乗せされていましたがそれが無くなりました。

現場にいることで、今何が起きているのか、何が問題なのかということがハッキリとわかるようになり、それを毎日日報で報告しています。そこから改善策や方針が決められたりするため、半強制的とはいえ転勤となった2回目の引越しには概ね満足しています。

まとめ

仕事が終わった後、遊びに行く施設がほぼ皆無なのと、喫茶店が近場に1店舗しかないため、コーヒー飲みながらゆったりが出来ないのが大変残念なのですがその分寄り道せずに帰宅してパソコンをいじったり、勉強する時間にあてたり、掃除をしてみたりと選択肢がないからこそ今出来ることにしっかりと時間を使えるようになってきました。来週仕事で横浜に行く機会があるので、ついでに家財道具を持ってこようと思っています。生活の基盤がある程度整ったら、車を買おうと思います。ど田舎の環境に嘆くのではなく、どう順応していくかということと、環境が変わるというのはある種転機のようなものなので、それをしっかりと活かした生活をしていけるようにしたいと思います。

それでは、今年もよろしくお願いします、のだめでした。