この一年を振り返ってみる

こんにちは、のだめです。

 

まだ10月の半ばなので一般的には全然キリがいいわけでもないのですが、自分の中で前の仕事と今の仕事の切り替えが済んだ時期にあたるので、今日はその辺を振り返りつつまとめてみようと思います。

正式に退職届を出した

ちょうど去年の今ごろ、約15年働いていた会社に退職届を提出しました。退職願だけだとうやむやにされそうだったので、一応事前に話はしてあったけど、念を押す意味での退職届でした。

 

業界自体は自分の好きなことで飛び込んだ世界だったので15年も働けたのは十分満足しています。ここで働いたおかげで自分を鍛え直してくれた人生の先輩と思える人とも出会うことが出来たのも貴重な体験となりました。

 

ただ、私の尊敬する上司がひとり、またひとりと会社を去っていき、気がついたら自分がその上司のポストに近いところまでのぼりつめていました。会社の方針や考えに素直に従えないところがあって、上司とぶつかることも多々ありました。

仕事柄、休みが不定期なことと極度の人材不足だったこともあり現場の雰囲気も最悪に近い状態が数年続いていました。

人手不足ではなく人材不足と書いたのは、あまりにも人手不足の期間が長すぎて会社自体の感覚が麻痺していたのかもしれませんが、最小限の人員でやりくりするために、不必要な設備投資や業務改善を繰り返し行ったため、その土台が出来上がる頃には募集をかけても応募すら来なくなっているという末期状態に陥ってました。

ちょうど業界自体を締め付ける色々な規制が重なって起きていたことも重なり、このままこの業界で働き続けたとして、5年後、10年後も健康なまましっかりと働けているだろうか、そんな気持ちが湧き出ていたこともあり、転職するなら40手前のこの時期がラストチャンスなんじゃないかってことで会社を辞めることにしました。

本格的な転職活動をする前に決まった

仕事を辞めて次どんな仕事しようかを考えていたときに、たまたま両親と食事に出かける機会があり、そのときに父親から「知り合いが人手がいなくて事務所をたたもうか検討しているらしいんだけど、運送業に興味ある?」と言われて面接をすることになりました。

f:id:heyaganodame:20181019110154p:plain

パチンコ業界に限らずどの業界も深刻な人手不足です。私が面接に行ったとき、すでに内定が決まっていたのかもしれません。ひととおり自分の経歴などの自己紹介が済むと、社長から「じゃぁ来月から来れる?給料は□□万でいいかな。勤務地は新横浜ね。詳しくは後日話すね」と言われ面接は終了しました。

39歳で手に職もない人が、ろくな転職活動もせずにポンと仕事が決まってしまったことに少しビビりましたが、パチンコ業界で働くより運送業の方が将来性はあるだろうという思いもあり、ここで働くことに決めました。

そんなわけで、転職活動はこの1社しかしていません。自分の中では会社を辞めて、退職金と失業手当をもらいながら半年くらい勉強しつつ気楽な生活も悪くないなと思っていました。後になって知ったことですがこの年で会社を辞めて半年以上定職に就いていないと再就職が一層厳しくなる傾向があるようです。なので、結果的にすんなり決まったのは良かったです。

まずは手に職つけようと

少しだけ話は前後しますが、仕事を辞めることになる数年ほど前から、ずっとこの業界一筋でやってきたこともあり、一般的な資格を何も持っていないことに危機感を持っていたこともあり、資格を取ることを決めました。

最初に取得した資格はファイナンシャルプランナーの3級でした。

毎年この時期になると年末調整といって税務署に提出する用紙を記入する時期があるのですが、働いているスタッフがシングルマザーだったり、掛け持ちの仕事をしていたり、どういう書き方をしたら良いか分からず聞きに来るのですが、そんな知識があるはずもないので、私もしっかりとしたアドバイスが出来ないままでした。

管理職で働く上で、こういったことは最低限知っておくべきだと思い、年末調整のことだったり税金関係のことを調べたりするわけです。

その過程で、結構この辺の分野についてはひととおりスタッフに聞かれてもすんなりと答えられるようになってきたときに、どうせなら公的な資格があればもっと信頼して聞いてくれるかもという思いもあり、取得に至りました。

前提知識は少しだけありましたが、半年ほどかけてファイナンシャルプランナー3級は取得できました。

FPの資格を持っています、と公言してそれを仕事にするには最低2級が必要らしいのですが、中小企業で働く中での必要な知識や助言は3級で十分でした。用紙の意味だったり、書き方や税金の計算方法についての説明だったりで主に活用しました。f:id:heyaganodame:20181019110309p:plain

辞める数年前に、少しだけ「この仕事やめたら宅建でも取って不動産関係の仕事に就きたい」と漠然とした考えだけはありました。なので、宅建の資格を取ろうと1年まるまる勉強しました。

そして父親がマンションをいくつか所有していて(棟ではなく部屋)賃貸として貸し出し家賃収入を得ていることを知っていたので、マンション関係の資格も何か持っていたら役にたつかなぁという打算もあり、マンション管理士管理業務主任者も合わせて取ってしまおうと思い、宅建と合わせて3つの資格を取ろうと勉強しました。

結果から言うと3つともポシャりました。試験が立て続けにあったのと、マンション管理士が難しすぎました。宅建だけだったら事前準備もばっちり出来ていたので合格できたかもしれません。

欲張って3つ取りにいったせいで、宅建の試験数日前から見事に体調を壊し寝込みました。ふらふらの状態で試験を受けましたが、ダメでした。

試験の出題範囲だけ考えれば管理業務主任者をメインとしてマンション管理士までよくを見なければ良かったかなぁと思います。

結局、もう一年宅建を勉強しつづけるのが面倒になり、諦めました。ですが、勉強していて楽しく勉強出来たというかしっくりと覚えられているという実感を持って勉強が出来たので、宅建に費やした1年は意味があったと思います。自分でも勉強って楽しいじゃんと思えた1年でした。

 

そんなこともあり、資格を取るとか勉強するというのが結構好きだったことがわかり、現在も資格取得のために色々勉強しているのですが、いやいやだったらきっと続いてないので、どちらかというと趣味に近いのかもしれません。資格の勉強は。

 

運送業に飛び込む

ここのブログのタイトル副題にもありますが、意を決して転職してみると、配属先は自分一人の職場でした。もともと人手不足からたたむつもりだった事務所なので、人がいなくて当然です。無造作に積み上げられた書類の山。段ボールの山。事務所というより倉庫では・・・?と思うほど乱雑な事務所でした。

 

はじめて来たときは、うわーなんてところに来てしまったんだと思い、若干後悔しかかりましたが、それよりも新しい仕事に就ける期待の方が大きくてあまり気になりませんでした。

事務所に乱雑に重ねられた書類一つ一つに目を通しながら、自分の会社がどんな会社なのだろうと書類からわかることを整理し、パソコンでまとめていき、まとめ終わったものは焼却。そんなことを2週間ほど続けているうちに事務所内の積み上げられた書類はどんどん無くなっていき、しっかりと壁が見える事務所らしい事務所になりました。運送業らしい仕事は何一つしていませんが、事務所を綺麗に整理し終わると同時に社長が事務所にやってきて

「見違えるようになったね。別の部屋かと思った。じゃ、これからも頑張って」

という言葉を残して去っていったのは今でも覚えています。入社1ヶ月目。まだ何も仕事はしていません。ただ事務所の整理をしただけです。

そうだ、免許を取ろう

ある程度事務所も片付き、時間に余裕が出た私は、せっかく運送会社に就職したのだからトラックを運転できるようにしておかねば、ということで教習所に通うことにしました。これまで持っていたのがAT限定の普通免許だったので、そこから大型免許を取るのに50万近くかかりました。

まぁそれでも1ヶ月ほどで取得出来、年内に免許が取れたのは良かったです。

免許取得後は、整理した書類をさらに細かく分類する作業をしたり、事務所にかかる経費を見直して社長に提案してみたり、インターネットを使えるように試行錯誤してみたり、そんなことをしながら年越しを迎えたのでした。

この時点でも運送の仕事は何もしていません。給料はもらっていました。

新年早々緊急入院

年越ししてから本格的に仕事らしい仕事がぽつぽつと入るようになり、出張もはいってくるようになりました。そんな矢先、体調が悪くて病院で診てもらったところ

「あぁ、これはやばいやつだ」と医師から言われ、入院することに。

風邪が悪化したのかもくらいに思っていたのですが、どうやらやばい状態だったようです。3週間ほど入院して、健康になったと判断され、無事退院。

「もうちょっと痩せないといかんよー」と医師から言われ、ダイエットを決意。

現在、体脂肪が10kg近く落ちたのですが、筋肉が11kgついてしまい、痩せるどころか逆に太ってしまうという謎の現象が起きています。

毎日のウォーキングと筋トレの効果は出ているようで、すこーーーーしずつ体重も落ち始めています。

仕事は事務所じゃない。現場で起きているんだ!

今のところ、私が仕事で向かうのがトラブルが起きた時の現状把握と報告業務。もともとそういう目的で採用したのか知りませんが、現在はそんな感じです。

倉庫化していた事務所をピカピカに整理したことなんかが評価されているのか知りません。会社の若返りを図る目的で、年が明けてから若い(といっても50代〜60代)社員の登用も始まりました。幹部が皆50代で、社長が70代後半なので、その間を埋める人員を最優先にしたのだと思います。そのおまけか知りませんが、いつのまにか役員に登用されていました。

なので、今でも役員会に行くと、40の私が一番若い役員としてみなさん子供扱いしてくれます。

仕事があるときは、休みでも夜でも構わず連絡が来ます。

「明日なんだけど、朝一で那覇に行ってくれ」と前日の昼過ぎに連絡がきたこともありました。まぁ行きましたけど。せっかく沖縄に来たのだから観光でもしたいと思ったら、夕方の便で本社に戻るというまさかの沖縄日帰り出張でした。

トラブルは計画して起こるものではないので、突然連絡が来るのはしょうがないです。

連絡がないときは、つつがなくものを運べているということなので、むしろ喜ぶべきことだと今は思えるようになりました。

子供扱いから一人前に見られるために

会社の若返りの一環として若手(50〜60代前半)の率先採用をしていますが、それでも今後5年後、10年後を見るとその若手も引退が控えています。そうなったときに、やはり現場をとりしきれる人材が必要になるだろうということで、ここでも資格が必要になってくるのでした。

管理業務主任者があれば、とりあえず配車が出来るようになるので、業務遂行にあたることができます。現行の担当者も60手前なので、10年後会社にいるかわかりません。なので、その人がいるうちに経験を積みたいという思いから11月取得予定。人気のため、半年前に申し込みしないと受講出来ません。

ひとりも悪くないと思えるようになった

都心のど真ん中に放り込まれて暮らしていけるかと初めは思いましたが、全て自分で時間を管理する必要がある今の職場は、案外自分に向いているのかもしれません。

上司にガミガミ言われることもない反面、自分で仕事を見つける必要があり、何かにつけて社長に稟議書を提出して会社としての決定をもらわないといけないのがちょっと面倒だなーと思うところもありますが、自分のペースで仕事が出来て生活出来るというのはやはりいいですね。

社長に感謝しつつ人生の夏休みを謳歌する

よくわからない職場に放り込んだ社長を一番初めは「なんて人だ!」と恨めしくも思いましたが、何かにつけて気にかけて連絡してくれるその人柄は憎めません。今では毎月の役員会で元気な顔を見るのがちょっとした楽しみでもあったりしますから。

そんな社長が健在のうちにやれることだけはやっておきたい。社長が会社を離れた時、自分の今の立場がどうなるかはわかりませんから。

以前も書きましたが今の状態は今後も続くとは思っていません。なので、今は人生の夏休みなんだと思いつつ、勉強をしたり、セミナーに参加したりと意外と楽しく毎日を過ごしていたりします。

まとめ

生活スタイルは以前と比べると大きく変わりました。休みがしっかり取れず、かといって給料が多いわけでもない。だけど仕事は好き。という業界で働きつづてきましたが、自分の将来を考えたときにいつまでも出来る仕事でもないということもわかっていたので、転職を決めました。

仕事は楽しかったですし、職場に行けば同僚もいるし、現場に出れば常連さんもいて毎日誰かしらと話す機会があり、話好きの私にとっては楽しく働けるところでもありました。ただ、楽しければいいかというとやっぱり生活をしっかり出来る基盤があることが前提なので、現場に出続けて体が動かなくなったころに次の仕事を探し始めたのでは遅いと思ったから。

なので、はじめは戸惑いましたし、仕事については前ほどの充実感はありませんが、今では十分な収入もあり、休みもしっかり暦通りに取れますし(社会人になってはじめてのGW10連休も取れる)。給料の3分の2を貯金出来る生活。十分な生活基盤は整ったと思います。

あとはこれを基盤としてどれだけ自分がやっていけるかをこれから作って行くだけです。

私の転職活動は、そもそもほぼしていないので参考になるところはありませんが、仕事の楽しさを取るか生活スタイルを取るかという意味では参考になることがあるかもしれません。

長々と書いてしまいましたが、どちらかというと今日は自分に向けての振り返りの面が大きいです。備忘録的な、です。

 

ではでは、今日も素敵な1日になりますように、のだめでした。