25年前に起きた米騒動の裏話的な。

おはようございます、のだめです。

 

今日も朝からすでに暑いですね。出勤するだけでワイシャツびしょびしょになりました。替えのシャツを持ってきて正解でした。

 

天気予報で今週いっぱいは暑さが厳しいようで、熱中症にはくれぐれも注意して過ごしていきたいですね。

 

そんな暑い今年の夏ですが、今から25年前の1993年の夏、覚えている方はいますでしょうか。

 

今年の記録的な暑さとは真逆で、記録的な冷夏の年でした。

 

1991年のフィリピン・ピナツボ山の噴火が原因と言われています。

 

そんな記録的な冷夏の年でしたが、日本では、こんな騒動が起きていました。

 

平成の米騒動

 

記録的な冷夏により、農産物が全く育たず、国内のコメが無くなってしまうという大惨事となり、小売店ではお米を買い占める人や業者が溢れ、

 

一般家庭では、なかなかお米を確保出来ないという未曾有のコメ不足に至りました。

 

当時の私の家庭でも一時的にコメが食卓から消え、一次的にコーンフレークやパンの生活になった記憶があります。

 

母親の実家が農家をしていたこともあり、裏のルートから古古米を流してもらったことで、備蓄米でしばらく過ごすことになりました。

 

そんなわけで日本だけではなく世界的に大不況となった93年でしたが、政府はコメ不足を打開すべく海外からコメを輸入することとなりました。

 

深刻なコメ不足のため、タイ、中国、そしてアメリカからお米を緊急輸入することになりました。

 

そこで問題になったのが、深刻なまでのタイ米の不味さでした。

 

当時、私はタイ米を食べることが無かったので、本当にみんなが騒ぎ立てるほど不味かったのかは正直分かりませんが、連日テレビでもタイ米の不味さをアピールする報道されていました。

 

今、大人になって考えてみると、深刻な米不足だから、お米のある国から分けてもらっているのに、そのコメが不味いから食えない、なんてのは、とんでもない言いがかりにも聞こえます。

 

知り合いと並んでお弁当を食べていて、友達のお弁当に入っていたご飯が美味しそうだったので、

 

「ねぇ、そのご飯ちょっと食べさせてよ」

 

「うん、いいよ。はい」

 

「ありがとう〜🎵  パクっ  おえ、ナニコレ不味いじゃん」

 

「えー・・・そんなこと言うの」

 

的な、友達同士だったらこんな感じなんでしょうか

 

せっかくもらったのに、不味いから食べない、そして、捨てると言う選択を日本はとりました。

 

ちょうど時期的に、日本では、自分たちの食生活を見直そうと言う意識が高まりつつあった時期ということもあり、食に関しての関心が今までよりもだいぶ高かったことも

 

お米を分けてもらったのに、不味いので捨てる

 

という愚行に出る結果に繋がったのかもしれません。

 

ですが、この平成の米騒動について、先日タイに行ってきたときに、現地の人が大変ショッキングなことを言っていました。

 

もう25年も経っているから、時効ということでご紹介します。

 

25年前のタイは今よりもずっと貧しく、いわゆる発展途上国と言われる国でした。

 

ですが、恵まれた気候だったこともあり、農業が盛んでお米も作っていました。

 

当時からお米に関する技術は相当高く、日本のお米とそこまで差がないところまで技術は高かったようです。

 

実際にタイ米を緊急輸入すると決まったときに、日本の農業団体が輸入する予定だったタイ米の味を確認するために、タイに視察に来たときにタイのお米を食べました。

 

タイのお米の技術の予想外の高さと、想定外の美味しさに日本の農業団体がびっくりし

 

「こんなお米を輸入してしまったら、日本のコメが売れなくなる」

 

とまで言わしめるほど、相当お米の技術は高かったようです。

 

ですが、深刻なコメ不足のため、どうしてもコメが欲しい日本は、タイにコメの品質を下げたものを輸入出来ないか、という打診をしました。

 

そう言った裏でのやり取りのおかげなのか、結果的に輸入されたタイのお米は、アユタヤ地区で栽培されたお米になりました。

 

このアユタヤ地区というのは、温暖なタイの中で唯一天候に恵まれない不毛地帯とのことで、お米の栽培もするのですが、タイの中でも唯一品質の良くないお米だったようです。

 

現地の人曰く

 

「あそこのコメは不味いから、現地の人間でも食べないよ。家畜用の餌だよ」

 

というほどです。

 

タイとしては、当時すでにバブルが崩壊していたとはいえ、日本に対してお米を援助することで、莫大な見返りが期待出来たため、どうしてもお米の援助をしたかった。

 

実績を作るために、コメを日本に持って行きたいタイ

 

ですが、日本の農業関係者は、高品質のタイ米が国内に流通すると、不況を脱したとしても国内のコメ農家のダメージが深刻なものになる可能性があると判断し、品質を落としたお米を輸入することを決める

 

タイからお米を輸入するという、体裁だけは整えて、実際に食べてみたら不味くて食べれなかった、結果的に食べれるお米ではなくて残念だったねーとすることで

 

タイは深刻な日本に対してお米を支援したという実績が出来

 

日本は、深刻なコメ不足を打開するために、コメを海外から輸入するという決断をした

 

(結果的に)輸入したお米は食べられるものではなかったけど、タイの人ありがとうね

 

という、結果だけが残りました。

 

当時は、まだコメに関しては、日本の農家を守るという名目で各国との自由貿易の項目からコメだけ除外されていました。

 

コメ関税化されるのが1999年ですから、そんな状況の中、コメを緊急輸入するというのは、当時の国内情勢を考えると、やむを得ないとはいえ、大英断に近かったのではないでしょうか。

 

 そんな事情や国内での偏った報道もあり

 

タイ米は美味しくない

 

という偏ったイメージが出来上がってしまったのです。

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写真は現地のホテルで朝食に出てきたタイ米です。

 

日本のお米とは違い、細長くて、パサパサしていました。

日本米は、一粒一粒がもっちりとしたみずみずしさがある感じですが、タイ米はちょっと固めでパサパサした感じですが、カレーなどの汁物料理と組み合わせると、やばいくらいに美味しさが倍増しました。

 

「やっば、タイ米美味い」と思わず言ってしまったほど。

 

タイのお米に対する技術は25年前からすでに確立されていたが、国家間の大人の事情により、タイの美味しいお米が日本にやってくることはありませんでした。

 

当時、タイで農家をしていた方が、日本へのコメの輸出が決まったときに

 

「タイのお米が日本の人に食べてもらえるのは、とても嬉しいことだけど、どうしてアユタヤのお米を持っていくのか。あれは家畜の餌だぞ」

 

「日本人は、家畜の餌を食べるのか。変わってるんだな。俺らでもあのコメは食えない」

と愚痴をこぼしていたという話を聞きました。

 

 

今日は、猛暑のせいで話が米騒動にまで転がってしまいましたね。

 

これからまだまだ暑くなるので、熱中症にだけは気をつけて過ごしましょう。

 

それでは、今日も素敵な1日になりますように、のだめでした。